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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和45年(少ハ)1号 決定

少年 D・J(昭二五・一二・二一生)

主文

本件申請を棄却する。

理由

(申請の理由)

本件申請の要旨は次のとおりである。

一  少年は昭和四三年七月一六日福岡家庭裁判所久留米支部で窃盗保護事件により特別少年院送致の決定をうけ、大分少年院に収容されたが、昭和四四年七月二二日同少年院を仮退院になつた。

二  少年はその際法定の遵守事項のほか特別遵守事項として定められた(一)父母のもとに落ちついてまじめに働くこと、(二)よくない誘いには従わないこと、(三)夜遊び、パチンコはやめること、(四)担当保護司の指導によく従うことなどに違反しない旨誓約したがこれに従わず、次のような行動をした。

三  すなわち少年は「(一)仮退院後まもない昭和四四年七月二九日担当保護司の斡旋により、久留米市内の○○ブロック工業所でブロツク工として就業したが、まもなく以前よりの不良仲間との交友がはじまり、同所には二ヵ月余働いたのみで、同年一〇月五日雇主に嘘を云つて外出し、翌六日には自宅より指輪、ミシン等を無断で持出して入質して旅費をつくり、不良仲間と連れたつて佐世保市、北九州市を徘徊した上、同月一一日頃大阪市に行つたが、その間各地でテレビ、カメラ、ラジオ、現金等窃取しては旅費や生活費に供していた。(二)大阪市では大分少年院で知合つた暴力団○○組と関係ある者らと一緒に生活し、毎日パチンコをしたり、組員の出入するバーやダンスホールで夜遊びなどしていた。(三)同年一一月四日には不良仲間と乗用車を窃取し、その事件で共犯者等が、昭和四五年一月二三日頃逮捕されたことを知り久留米市の自宅に帰つた。(四)前記(一)(三)などの窃盗事件により、少年は同年二月二八日前記家庭裁判所で検察官送致の決定をうけ、同年四月二八日久留米簡易裁判所で懲役一年、三年間保護観察付執行猶予の言渡をうけた。(五)その後、再び○○ブロック工業所で働くことになつたが、まもなく暴力団△△組の組員と交友し、同年七月頃には正式に組員となり、○○ブロック工業所を勝手にやめ、組員方に寝泊りしては、久留米市内を徘徊し、パチンコ遊びなどをし、担当保護司とは全然接触しなくなつた。(六)同年七月一二日ダンスホールで女のことで喧嘩をし、傷害事件をおこした。(七)その後、トルコセンターやスタンドバーの用心棒をしたり、又勝手に組員方をとび出したりして指をつめさせられたりしたが、同年九月二一日には不良仲間との窃盗事件に関連して現行犯逮捕された。(八)同年一〇月二〇日前記家庭裁判所で、前記(六)の傷害事件につき検察官送致の、前記(七)の窃盗事件につき不処分の決定をうけ、傷害事件については罰金金七〇〇〇円の略式命令をうけた。(九)同月二三日少年は、暴力団員に脅かされているということで、福岡保護観察所に保護を申し出たので、同月二五日から更正保護会の寮に収容することになつたが、その後、所在をくらまし、大分県に無断で転居していた」ものであつて、このような状態では最早保護観察での少年の更正は困難であるから、この際少年を再び少年院に戻して矯正教育を施す必要がある。

(当裁判所の判断)

本件調査審判にあらわれた一切の資料によれば前記事実を認めることができ、これらの事実からすると保護観察の実施は困難であり、このまま放置すれば又犯罪行為をなすおそれが充分にあると認められる。しかし、乍ら少年は既に中等少年院、特別少年院と施設生活を経験している上、更に二度にわたり保護処分の限界を超えるとして刑事処分をうけているものであり、かかる少年の前歴・前科やその非行性の態様・程度ならびに年齢(本年一二月二一日には成年)などに鑑みるときは、少年を再び少年院に戻して矯正教育をすることは相当ではない。むしろ前記保護観察付執行猶予の取消を求め、刑の執行をうけさせることの方が、少年の反省をうながし、その更正に資するものではないかと考える。

よつて、本件申請を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 徳本サダ子)

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